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鎌倉の歴史と風土と市民

-鎌倉の市民活動-


 ー鎌倉は古都なのか−

800年あまりの歴史を持ち、武家政治の都として中世を切り開いた鎌倉だが、幕府滅亡後はかつての農漁村に戻り、再び都市としての姿を取り戻したのは明治以降である。
戦前は、海と山に囲まれた歴史的風土の旧鎌倉地域は別荘土地・観光都市として発展した。

また大船地域は映画や電機などの先端的な産業都市として、そして戦後は全域が東京圏からの流入による住宅都市として発展した。
寺社のほかは、近代が形づくった都市であり、まちなみなのである。

 ー鎌倉の市民風土とはー

以上のような歴史的背景から鎌倉には地つきの市民は多くない。その風土に魅せられて移り住んだ市民が大半である。それだけにまちに対する想いも深く見る目も鋭い。
その市民活動の先駆けになったのが大正4年明治の元勲陸奥宗光の子息であり外交官であった広吉であり、その主導により政財界人たちで結成された鎌倉同人会であった、駅舎の改築、郵便局の開設、松並木の保全、国宝館の開設など、市民レベルを超える積極的な活動を行った市民活動第一世代といえよう。

戦後の急速な住宅地開発は、鎌倉のシンボル鶴岡八幡宮の裏山、御谷(おやつ)に迫り、大佛次郎を中心とする文化人・知識人による果敢な反対運動は、日本初のナショナルトラスト(財)鎌倉風致保存会を生み、さらに古都保存法制定の端緒となった。
この思想と運動は、その後の市民活動の背景となるものの、先進的であり時によっては尖鋭的になる姿勢は、市民と行政との不毛の対立関係が続く要因ともなった。市民活動第二世代である。

ー市民活動第三世代へー

しかし次第に市民の意識も行動も成熟しはじめた。行政にも市民感覚を持ち、柔軟な思想と行動を示す優秀な若い世代が抬頭してきた。
さらに平成8年市民の主体的参画と行動を不可欠とする環境自治体の創造を理念とする第三次総合計画が策定された。

行政と適度な緊張関係を保ちながらも協調し、かつ協働しようとする多くの普通の市民がその中核となりつつある。
市民活動第三世代というべき時代がいま鎌倉に到来している。

ーはじまっている市民と行政の協働ー

この鎌倉の環境自治体づくりは、すでに市民と行政の協働ではじまっている。都市計画マスタープランへの本格的な市民参加ワークショップ、都市の交通のあり方を問うパークアンドレールライド交通実験、全戸清掃工場化を標榜するゴミ半減化などである。

先に述べた鎌倉風致保存会は会員制度を導入し、市民の汗で活性化しようと山林の手入れと保全活動を展開している。鎌倉を世界遺産に正式登録を目指す活動も市民が中心となり、推進がはじまった。

ー鎌倉20世紀の遺産づくりー

「谷戸谷戸に友達住みて良夜かな」鎌倉に住み続けた評論家小林秀雄の句だが39ku人口16万7千人という、人の顔が見えかくれするほどのまちの規模の好ましさを示している。

先人からの歴史と文化そして風土を受け継ぎながら、いささか傷つけたこの世紀に生きた市民が、何を次世代に遺せるのか、市民と行政の協働のしくみもそのひとつであって、その成果が期待されている。

特定非営利活動法人
鎌倉市市民活動センター運営会議
元理事長 藤井経三郎


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